一で在る

全体からの、あくまで一個人の意見です。

嘘を承知で



れら過去なる分離した記事を本当だと思っていたら、
他の過去なる分離した考えとの衝突は避けられない。

否定されようとも氣にならないのは、
嘘だと知っている、方便だと知っているからだと思われる。

嘘も本当もないものが真実であり、
そこに平安があり、
それこそが誰のものでもなき証明なのだろう。


対に本当か?

この問いかけに耐え得るものなどない様に思う。

名づけられた思考そのものが分離された虚偽ともいうべき非真実であり、
だからこそ、いわゆる救いという名の自己そのものがあるのではなかろうか。