一で在る

全体からの、あくまで一個人の意見です。

西江水を呑んでいる主

これを書いているうちに西江水を呑むという言葉を思い出しました。しかし、実際そう出来る個人というものは存在しません。 ここで一旦、話が変わるようですが、 書き始めの方に戻ります。 全てに意味はない、と聞くことがあります。それは、絶対的な意味のな…

言祝がれている

『六根清浄大祓』という祝詞があります。最初に、人は神の御分霊であると、分かりようのない思考の限界を使って指し示されています。言葉そのものでないので、 この"真実"を自分が使って、他人と争うものではなく、 他人も御分霊、つまり神の似姿、独り子だ…

嘘を承知で

これら過去なる分離した記事を本当だと思っていたら、 他の過去なる分離した考えとの衝突は避けられない。否定されようとも氣にならないのは、 嘘だと知っている、方便だと知っているからだと思われる。嘘も本当もないものが真実であり、 そこに平安があり、…

悟りの一部 AI の愛

知らないところでも、 機械が人々の助けとなっています様に、 AIも人々の助けとなって浸透してきました。人工子宮など、体の代わりになるものも増えて行き、だんだん人と差別できなくなって行くのかも知れません。そうしますと、 人は人工に対して、 誇るの…

祓われているベースに敢えて書く

人生劇にて、パラパラの絵を見ているにせよ、 そうした絵を解釈する、良くも悪くも記憶を祓う音というのがある様です。 "私がしている"といった、虚偽なる行為感のバイブレーションのない柏手や、 ボーカロイドによる『とほかみえみため』の波情報もそうした…

時空なる心の反射なきもの

神社には、鏡がある。 我という曇りなくば、あなたこそ神なのが明らかだという。 時間と空間に居る私たちにとって、物質的たとえは話が早い。 もうそれが前提なのである。 真我について、明解さと多大な実績を持たれるお方の話に、 マジックミラーによる説明…

パラパラ人生、空が観る

筆者は、過去の記憶であり、以下も記憶が羅列された矛盾したものでありましょう。 私たちは、パラパラ漫画を見て、 一コマに意味を付けます。 しかし人生劇、パラパラの間にある空こそ、 氣づき、観、行い、探す本体であるとしたらどうでしょう。 欠けた自分…

分離なく在る大生命

気づいていない他人に「気づき」を言う。 それでも、気づいてないという事さえ含む お互いに絶対的気づきなのではないか。 サムシング・グレートという。 卑小さなくして偉大さはない。それは、絶対的分からなさなのであって、 それすら分かり得た個人なき無限…

もし地球を一目眺めれたのなら   

今、自動的に、何か・サムシング、ないかなと対象を文字や思考で探しているとします。しかしながら、 その探している者こそが探されているもの・サムシング・グレートなのだといわれる。 自らが余りに偉大すぎて認識できないでいるので、他なのであろうといっ…

スクリーンは文字で立てたものではない

真我、真の自己、純粋意識などと呼ばれるもの。 それは我である故に自明なもの。上とか下とかはなく、 たとえ釈尊であろうとも、 否、自分ですら、 過去の記憶の登場人物であって、 それら消えゆく影絵を成り立たせているのは、 スクリーンなる存在ではない…

真我の説明という演劇

真我の説明が奉仕になるというので、新たなブログサイトで始めてみました。 よく喩えられますのが、映画のスクリーンというものです。 このブログと筆者自体もまた、 映画のワンシーン、 登場人物にあたるため、 それらが映画内にてスクリーンを説明するとい…